生まれ故郷で得た経験

自己紹介

静岡県富士宮市の一般家庭にて、
9人家族、2世帯で住んでいました。

祖父母、両親、叔父、自分を含めた
4人兄妹と今時では少し珍しい
家族構成だったと思います。

実家で得た経験、
生まれ故郷で得た経験をまとめてみました。

連帯責任の制度があった

大学生になるまで、
気づかなかった我が家のマイルールが
ありました。

それは「連帯責任」の制度。

その場における、
一番上のお兄ちゃんあるいは
お姉ちゃんも一緒に諌められるというもの。

例えば、弟が牛乳をこぼした。
そうするとその場にいた
お兄ちゃんも一緒に指摘されます。
「弟が牛乳をこぼすのに
 気づかなかったのかな?」
というような感じで。

当時は、
「え、なんで一緒に自分が怒られるんだ?」
と理不尽さを感じていました。

ですが、今あらためて振り返ると
理不尽さもあったけど、
小さい子の面倒をみることの練習として、
責任感を醸成する体験として
貴重な時間だったと感じます。

お仕事やボランティアの活動などで
代表や副代表として活動をするときに
連帯責任で培った経験がおおいに
役立ちました。

後輩にまかせた仕事をしっかりと把握する。
仕事を進める上で後輩がミスをしたら
後輩と一緒に謝罪やミスの埋め合わせをする。
仕事がどんな結果になったとしても、
結果だけではなく過程のなかで良かったことを
しっかりと褒める。


一見、なにかの責任を背負う立場として
上記の事柄は当たり前のことだと
思っていました。
ですが、色々な組織のリーダーを
見る中で上記の事柄は当たり前では
ないことを実感しました。

連帯責任という経験は
社会生活を営むうえで自分の基盤の
ひとつになっている気がします。

家庭内の相談所になっていた

ある程度、言葉も達者になってくる
中学生時代から家庭内の相談窓口の
ような役割を担っていました。

いくら家族といえども、
面と向かって思っていることを
言えないことがあります。

父親が考えていること、
母親が考えていること、
祖父母が考えていること。

みんなが考えていること、
思っていることをただ聴く。
あえて、自分の意見は
なるべくはさまない。

上記の相談窓口としての役割を経て、
下記の考えができるようになりました。

事実と意見を切り分けて考える。
あくまで一意見として聞く。
全体の利益と個人の利益を同時に考える。


上記の考えを前提に人の話を聞けるように
なったため、一意見に振り回されない。
他人の意見で自分を乱されないように
なった結果、会話による感情の起伏を
一定に保ちやすくなりました。

ただし、一時期感情の起伏を制御しすぎて
表情がとぼしくなってしまい、
「お地蔵さん」と言われる時期が
ありました(( ´∀` ))

いろいろな立場の人と出会えた

家庭環境として、
特に母の意向として
「色々な考えの人と触れてほしい。」
という特徴がありました。

上記のおかげで、
本当にいろんな立場のかたと
お会いました。

祖父母両親と暮らしている
自分と似た境遇の家族、
片親家庭の友達、
外国にルーツを持つご家庭。

キリスト教の教会を運営しているかた、
仏教の修行をしている修行僧の学生。

ある程度地域のかたとうまくお付き合いが
できる人、逆にあまりうまくお付き合いが
できない人。

学校で優等生として扱われている級友、
逆に問題児として扱われている級友。

本で知識を得ることはもちろん好きです。
人と出会い語らう経験から
その人が感じていることや
考えていること、
大切にしていることを聴くのが
読書よりも好きになりました。

色々な人との出会いは多くのことを
学ぶ土壌になっていました。

学校で出題される数学の問題と違い、
社会に存在する困りごとは、
いろいろな方法で解決ができること。


目指すことが同じでも、
そこに至る方法が違って対立すること。
対立を解消するために
さまざまな方法があること。


まずはお互いに歩み寄ること、
歩み寄ることが難しい場合は
無理に付き合おうとしなくても
良いことなど。


生きる上で本当に大切なことを
学ばせて頂きました。

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